昇段レポート 長嶺寿宣(2020年8月2日取得)
2020/10/20(火)
初段(熊本県支部)2020年8月2日取得
この度、昇段審査の機会を与えてくださった竹代表、谷口誠師範、馬原浩師範代、ならびに分支部長の方々に心より御礼申し上げます。特に、今日に至るまで7年間にわたり、光の森道場で私を直接ご指導いただいた佐藤博也先生には、感謝の言葉も見つからないほどのご厚情を賜りました。仕事や家庭のために稽古に参加できない時期がございました。試合で結果が出せず限界を感じて、稽古に臨む意欲が低下した時期もございました。幾度となくご心労をおかけし、失望させたこともあったことと拝察します。忍耐強く導いてくださり、誠にありがとうございました。
思い返せば、1990年、まだ大山倍達総裁がご存命の時に、私は宮崎県で極真空手を始めました。内山武盛師範が指導されていた本部道場での、入会後初めてのスパーリングを鮮明に覚えています。年下の中学生(茶帯)を相手にした時、私は上段廻し蹴りを顎にもらい開始早々床に崩れ落ちました。黒帯の先輩からは後ろ廻し蹴りで気絶寸前に追い込まれました。私は小学4年次から中学校卒業まで伝統派空手や少林寺拳法を学び、伝統派空手では黒帯を取得済みでした。ところがまったく歯が立たず、直接打撃制の凄まじさに衝撃を受けました。その後、稽古に励み、大会の組手試合で成果を出せるようになりましたが、1997年、大学卒業とともにアメリカへの留学を控えていた私は、武道空手がなんたるかを知らぬまま、茶帯一級で退会しました。
2003年に帰国して働き始め30代半ばを過ぎると、過労から体調を崩すことが多くなりました。ストレス発散も兼ねて挑戦できることは何かと考え、長年懇意にさせていただいている内山武盛師範にご相談して、2013年に再入会を決意。光の森道場での稽古を始めさせていただきました。頭にあったのは、「昔やっていたからなんとかなるだろう」という考えでした。再入会後すぐに実感したことは、私の考えの甘さです。過去の経験に執着し楽観的だった私は、まったく道場の稽古についていけず、後悔の念と闘うことになります。基本稽古中に突然襲ってくる吐き気やめまい。そして、稽古から離脱。これが3、4回続いたでしょうか。基本稽古についていけるようになった後も、ミット練習やスパーリングで不調を感じ、離脱。叱責されて当然だと思っていた私は、佐藤博也先生の寛大な態度に恐縮し、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
最初の一か月間は、耐え難いほどの全身筋肉痛で、のたうち回りました。稽古後は毎回、車の運転を躊躇するほどの疲労です。体力・筋力や柔軟性は当然ながら、瞬発力や動体視力、基本的な技術等のすべてが、目を覆いたくなるようなありさまでした。いや、身体的な問題はさておき、「昔やっていたからなんとかなるだろう」というそもそもの甘い考え、自己分析の欠如を猛烈に恥じました。不安感にさいなまれながらトレーニングに取り組むも、再入会後1、2年ほどでは成長を感じることができません。それもそのはず頻繁に怪我をしてしまうのです。当時高校生だった園田太陽君の昇段審査会では、光栄にも10人組手の相手として参加させていただきました。完遂された園田太陽君の姿に感動し、涙が溢れました。余韻に浸りつつ車で帰宅途中、胸部に違和感が。原因は、組手中に受けた突きによる肋骨のヒビでした。その後1ヶ月ほど、くしゃみをする度に恐怖でした。組手試合にエントリーした大会直前にも怪我をしてしまいました。道場での高校生を相手にしたスパーリングで、胴廻し回転蹴りを出して肘でブロックされ、その肘が当たった右脚朏骨を骨折。あろうことかスパーリングの相手に、技を出した私が気遣われる始末です。「全然大丈夫です」と平静を装って道場を出たものの、激痛に顔をゆがめ脚を引きずり帰宅。翌日からはギプスを付け松葉杖歩行、妻の運転で出勤と、不甲斐なさに言葉を失いました。「茶帯一級で、一体自分は何をやっているんだろう。」自問自答の連続でした。
40代に突入すると、怪我はなかなか治りません。「このまま続けていけるのだろうか」、「直接打撃制の空手は自分に合わないのでは」と頭を抱える日々。その度に、佐藤博也先生から、稽古後の体のケアに関するご助言や激励のお言葉をいただきました。「宮脇先生の自主練に参加すると勉強になりますよ」と佐藤博也からお声かけいただいて同行させていただいたこともありました。1000回スクワットに黙々と取り組まれる宮脇善郎先生と佐藤博也先生。私もやらせていただきましたが、初回は長時間かかった上に、産まれたばかりの小鹿状態に。根性で複数回参加させていただき、1000回スクワットにかかる時間を短縮することができました。しかし、参加後は最低1週間、猛烈な筋肉痛のために自宅でも職場でも行く先々で七転八倒したことは言うまでもありません。道場稽古以外での陰の努力と、怪我の頻度を減らすための基礎体力強化の重要性を、実践を通して教えていただきました。
恵まれた人間関係がなければ、今日の私はありません。熊本県支部の各種イベントでは、谷口誠師範や馬原浩師範代、分支部長の先生方、さらには谷口誠師範の奥様にも、常に親切に接していただき、心温まるお言葉をいただきました。光の森道場壮年部の同志からは、稽古後の空手談義や呑み会を通してどれだけの活力をいただいたことか計り知れません。谷口誠師範の発案による「おやじの会」でも、素晴らしい指導者の方々や他道場壮年部の同志と絆を深めさせていただきました。すべてが私の心の支えです。
再入会後7年目、極真空手の門を叩いてから30年目となりました。私事で甚だ恐縮ですが、審査会を開催していただいた8月2日は、28年前に15歳で他界した弟の誕生日でした。特別な日に開かれる昇段審査に向けて、私を奮い立たせてくれたのは、佐藤博也先生の存在です。「稽古以外でコツコツ努力する人は必ず成長します」、「最後は執念が一番強い人が勝ちます」、「空手を始めたお子さんのためにも模範になってください」。10人組手では、付け焼き刃的なテクニックや、その場しのぎの誤魔化しなど到底通用しないことを思い知らされました。コツコツと積み上げたものしか出すことできません。審判をお務めいただいた宮脇善郎先生には、一人終わるごとに声をかけていただき、終始激励していただきました。薄れそうな意識を戻しながら、執念で立ち続ける上で大きな力になりました。ボロボロにはなりましたが、有り難き学びの機会でした。審査後に見えてきた課題の量を考えると気が遠くなります。しかし、果敢に挑戦していきたいと思います。
末筆ながら、今後は光の森道場および支部組織、ひいてはワールド極真会館への恩返しを含め、黒帯としての自身のあり方を謙虚に追及していく所存です。「茶帯までは基本的なことがしっかりできることが求められ、黒帯は応用できることが求められる」との谷口誠師範のご指導を胸に刻み、さらなる高みを目指して精進してまいります。押忍