「弐段昇段段審査を受けて」
令和3年7月4日鹿児島県武道館において、ワールド極真会館弐段の昇段審査を受けました。
私が弐段昇段審査のお話をいただいたのは、4月でした。
私が稽古をしている鹿児島中央道場の指導員である別府良建四段からお話を伺い、ぜひ受審したい旨をお伝えしました。
私が初段を取得したのは、21歳の頃だったと思います。
それから大会には積極的に出場していたのですが、段位を取得する機会はありませんでした。
しかし、45歳になった今、空手を今一度見直し、挑戦する気持ちを持つ良い機会だと考え受審させていただきました。
審査までの3か月間は、審査に耐えうる体力、技術の向上、型の体得、組手の稽古、そして何より昇段審査を受ける心構えを養う期間と致しました。
道場稽古では、別府四段から型、補強、組手の指導をしっかりしていただき、自主トレではサンドバックの打ち込みとシャドー、補強、型の稽古を中心に行い審査に向かいました。
審査は、基本、柔軟、補強、飛び蹴り、型、組手、筆記試験でした。
基本は長年稽古で身に付けた動きが出来ました。
柔軟も日々コツコツとおなってきた柔軟運動のおかげで、開脚から上体を畳にしっかり着けることができました。
補強は道場稽古と自主トレで拳立とジャンピングスクワットの回数を徐々に増やしていき、審査ではそれぞれ50回を行うことが出来ました。
飛び蹴りは左右の飛び後ろ回し蹴りを行い、左右ともミットに当てることが出来ました。
特に左はスピード、タイミングとも良い感覚で当てられました。
型は征遠鎮、臥龍、鉄騎二を行いました。
道場にて指導していただき、あとは自主トレで何度も回数を重ねて体得しました。
本番では型を間違えることなく行えましたが、緊張のあまり動作が早くなってしまいました。
技の緩急が疎かになっておりました。
型の稽古を行い体得することで空手の奥深さを改めて感じることが出来ました。
組手は20人組手を行いました。
審査に向けての3か月間は、この20人組手に向けての稽古に重きを置いてまいりました。
道場稽古では、スパーリング1分×20セットを道場の皆様にお相手していただき、自主トレでは、サンドバックの打ち込みとシャドーを1分×20セットを常に行いました。
本番では、なかなか思うような動きが出来ず、勝星を上げることが出来ませんでした。
特に12人を越えたあたりから手数が減り、防戦一方となりました。
組手に強くなることが極真空手の第一意義でありますので、さらなる精進が必要と強く実感致しました。
最後に、今回昇段の機会を与えて下さいました竹師範、指導をしていただいた別府四段、鹿児島中央道場全員の皆様、南野先輩を始め20人組手の相手をしていただいた皆様、審査に携わっていただいた関係者各位に、心より感謝申し上げます。
押忍
2021年 7月 の投稿一覧
昇段レポート 坂之上幸次(2021年7月4日取得)
今回の昇段審査で、型の指導、スパーリングの相手をして下さった先生、道場生の皆様のご協力により昇段することができ、ありがとうございます。
20人組手は最初のころの練習ではなんとかなるのではと思っていましたが、ビッグミットの練習では30秒×2ラウンドは自分のペースで出来るのですが、スパーリングになると道場生を相手に20ラウンドになると想像以上にスタミナを使い、日頃から練習していないとできないと実感しました。
型の指導も、練習が終わった後に指導していただきありがとうございました。
昇段審査の当日は、拳立て、スクワットは何とかなりましたが、柔軟と20人組手は課題が残る結果になりました。
特に20人組手は1人目から15人目くぐらいまでは踏ん張りましたが、残り5人はかなり苦しくスタミナ切れになり1ラウンドがかなり苦しく長く感じました。
人生で初めて体験したぐらい苦しく、いい経験になり、これからの人生に活かしたいと思いました。
スパーリングをしていただいた先生、道場生の方、ありがとうございました。
今思い起こせば子供のころテレビで空手バカ一代を見て極真カラテに憧れ19才のころ入門しましたが、見ると実際に練習するのでは大違いでついていけず、すぐに挫折してしまい、稽古に行かなくなりました。その後も極真カラテに憧れがあり、練習に通っては長期にわたり休みの繰り返しで、今となっては自分自身の考え方の甘さに反省するばかりで、後悔しています。
40歳前後になってこのままでは後悔すると思い、大変遅すぎるのですが、この頃から真剣に取り組むようになりました。
今後は道場生の昇段・昇級審査の指導手伝いができるよう、日々練習していきます。
昇段レポート 新井辰美(2021年7月4日取得)
弐段審査を終えて
約5年前の初段審査。
思い返せばなぜ合格できたのか今でも分からない。
初めての黒帯審査、夢に見た黒帯がすぐそこにあるという喜びに胸が躍り、自分なりに時間を費やし準備して臨んだものの、組手審査の途中で肋骨が折れ、息絶え絶えで何とか乗り切り、到底誉められるものではなかったと今でも痛感する。
黒帯を許されてからは、無様な真似はできないと色帯時以上に強さと稽古にこだわった。
転勤で名古屋に住むことになっても現地の道場に通い稽古を続けた。
そこでの先輩方に黒帯の在り様を学び、大会を通して強くなることを知った。
鹿児島に戻ってからは、「今からでも遅くない」「子どもたちが誇れる父親になれたら」と思い、大会に出場するようになった。
大会を経験するたびに色々な面で変化が見られ、メリハリも生まれ、積極性が増した。
本音を言えばあまりしたくなかった少年部の指導も進んで経験を踏むことで気づかなかった空手の面白さに気づけた。
家族の理解も得、生きる糧・軸が空手になりつつあるなと思った矢先、今回の受審の話を頂いた。
正直嬉しかったが、5年前の記憶が鮮明によみがえり、不安で何度も寝付けなかった。
数年続けていた走り込みに加えて、出勤前の時間を使って拳立て・スクワット・建物内での階段上がりなどを何度も繰り返し、基礎体力の向上を図った。
しかし、やりっぱなしでケアが足りなかったことが祟ったのか、審査2週間前に右足の肉離れをおこした。
気持ちが折れ、受審をあきらめかけた。
悶々としながら、なんとか治療を続け、審査数日前に意を決して受審する旨を伝えた。
不安を抱きながら審査当日を迎えた。
跳躍を伴う飛び後ろ回し蹴りや型に怖さを覚えつつなんとかこなし、残すは20人組手だけとなった。
ペース配分を考えて組手に臨んだが、最初からオーバーペースになってしまい、13人目を終えるあたりで、周囲の声援等が次第に耳へ入らなくなってきた。
最後は気力だけを振り絞り、20人目を終えた時は「こんなわたしでもできたんだ」という高揚感を得た。
前回より充実感や達成感の大きさが違った。
受審して良かったと骨身に染みた。
コロナ禍で制約の多い現在、思うようにいかないことばかりであるが、今まであまり目を向けてやらなかった稽古を励むようになるなど良い面でメリットも感じている。
これまで以上に初心を忘れず、じっくりと稽古に向き合って精進したい。
最後に、今回受審の機会を与えて頂いた竹師範をはじめ、有村師範代、別府先生、南野先生、審査前に足のケアを丁寧にして頂いたメディカルの丹羽先生、審査に携わって頂いた諸先輩や鹿児島中央道場、伊敷道場の皆様に深く感謝致します。
また、ここまで文句も言わず見守って頂いた家族や私の周囲の方々に併せて深く感謝致します。
誠にありがとうございました。 押忍
昇段レポート 小野里リース拳真(2021年8月1日取得)
小野里リース拳真
先ず初めに、今回の昇段審査受審の機会を与えてくださいました竹代表、谷口師範、馬原師 範代、そして佐藤先生および諸先生方の皆々様に心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
極真空手に入門し8年、いつも憧れていた黒帯を巻けることに心の底から感謝と喜びで溢れています。
白帯の時、初めて初級審査を受けた日は、同じ道場の先輩の園田太陽初段の昇段審査でし た。あの日の感動は今でも忘れられません。
あの頃の自分にとっては夢でしか無かったことが今ここに現実となり、信じられない気持ちでいっぱいです。
私の名は、日本人の父とアメリカ人の母により、リース”拳真”と名付けてもらいました。ミドルネームの拳真は、こぶしの拳に、極真の真。
元々空手家だった父が、いつか息子に極真空手を習わせたいという想いからこの名前を与えてくれました。
そして、小学五年生の時の父の熊本転勤を機に、私は空手を始めることができました。始めた頃は試合に何度出場しても毎回悔しい結果しか残りませんでした。
しかし、どんな結果が出たとしても、佐藤先生、園田初段、そして父の小野里初段や家族が、いつも温かい言葉と態度で支えてくれました。
中学生になってからは本部道場にも通わせて頂くようになり、谷口師範や馬原師範代から 本当にいろいろな事を学ばせて頂き、沢山鍛えて頂きました。
それでも中々結果は伴わず、何度も何度も打ちのめされ、何度も何度も試合で負け。
ずっとこの繰り返しでした。ですが、 高校二年生の時、今までご指導頂いた多くの方々のお支えとお陰により、全日本の試合で優勝することが出来ました。
これが私の生涯初優勝の記録であり、記憶に残る非常に感慨深い 勝利となりました。
ここまで続けて来れたのは、一番最初から私を指導してくださった佐藤先生との出会い。長きに渡りいろいろな事を教わり、応援してくださった馬原師範代。
そして常に大きな壁となり導いてくださった谷口師範とのスパーリングや温かいご指導の数々。
いつも一緒に練習 してくださった園田太陽初段と、同じく道場生の皆々様。
これら全てがあったからこその昇段と思っております。
感謝しかありません。
これからもこの黒帯に見合う人であるために、心も身体も精進し、更なる高みを目指して今 後の人生に反映するよう頑張ります。
この度は誠にありがとうございました。
昇段レポート 田代裕之(2021年7月4日取得)
極真空手に入門しようと思ったきっかけは息子が生まれたことでした。
将来息子に空手を習わしたく思い、自分が出来ないことをさせたくないという思いで、自ら二〇一六年の三十六歳の誕生日の翌日、川内道場へ見学に行き、そのまま入門しました。
それから約五年半。
仕事の都合でなかなか稽古に行けないこともありましたが週一~三、稽古に行き、稽古のきつさに正直行きたくない事もありましたが、ようやく昇段試験を受ける資格を得ることが出来ました。
昇段試験は七月開催ということもあり気温も高く過酷な環境でありました。
暑さにスタミナを奪われ型はもちろんのこと一〇人組手は最後立っていることがやっとの状態であり、実力をすべて出せたかというと不明な状態でしたがすべてを出し切った爽快感はあり、また改めて自分の弱さを知るきっかけとなりました。
これまで指導していただいた先生、先輩方はもちろんのこと、自分の好きなことをさせてくれた家族には本当に感謝しております。
私にきっかけをくれた息子も二〇二〇年二月四歳のときに入門し現在一〇級で頑張っております。
初段となった今、息子含め少年部・一般部の指導もさせていただき大変光栄に思っております。
入門当時まさか私が前に立ち指導員として立っているとは全く思っておりませんでした。
今後の目標として、これまで通り稽古に参加することはもちろんのこと、弐段を目指し日々精進し、息子はじめ少年部等育成にも力を入れていきたく考えております。
たくさんの新しい経験、そしてたくさんの新しい出会いをもたらしてくれた極真空手、本当にありがとうございます。
昇段レポート 坂元雅幸(2021年7月4日取得)
押忍
先ずは、竹師範をはじめ有村師範代、別府筆頭指導員、審査会でお世話になりました先生方、先輩方、同士の皆様、ありがとうございました。
私は、初段の昇段審査から十三年経ち、十三年もの長い間自分の中で弐段昇段への覚悟が出来ず「いつかは、」という気持ちでいました。
しかし、鹿児島での審査会の際に昇段される方々の相手をさせて頂いた時、自分の「いつかは、」という甘い気持ちが如何に恥ずるべき考えであり「挑戦する」という事が如何に大事なのかを再認識しました。
それから「弐段に昇段する」と覚悟し、決断してからは日々の自主トレや他の道場への出稽古に行き練習をしました。
しかし、その中で自分の実力や体力のなさを実感することとなり、「やはり今の自分は無理だから次回挑戦すれば良いだろう」と諦めかけていました。
しかし、色んな大会の審判員をして、幼年部から一般部までの試合を見て達成するという大きな学びを得ました。
気持ちを切り換え稽古に励むことができました。
型についても大会等でトップクラスの選手を見て学びました。
審査会当日ですが、基本から補強まで順調に進み二十人組手の際に先輩方から「平常心で」と助言をいただいたのにもかかわらず、相手の動きや攻撃に翻弄される事が多く、自分の組手ができませんでした。
自分にとって今後の課題です。
私は、今回の弐段への昇段審査でもそうですが、極真空手を通じて先輩方や同志の皆様、また、その御家族、道場生の子供達やその親御さん、本当に多くの方々の関わりや支えがあって今の自分がある事を改めて感じ心から感謝しています。
そして、今回審査を受ける覚悟をし、挑戦して弐段昇段という貴重な経験が出来た事、自分の人生の財産だと思います。
今後も極真空手の理念を常に心に置き、自分で自分に限界を作らず稽古や日々の鍛錬に励んで行きます。
また、指導員としても日々学びを大切にし、加世田分支部旗の「精神一到」を貫き、今後の上を目指し日々精進します。
押忍
加世田分支部 坂元 雅幸