初段

昇段レポート 米山 善隆(2021年2月14日取得)

初段(鹿児島県支部)2021年2月14日取得

 この度は昇段審査を受審させて頂き誠にありがとうございます。空手を始めて約8年、ここまで支えてくれた先生、先輩方に感謝の気持ちでいっぱいです。

空手を始めたきっかけは、体力づくりをしたかったのと、直接打撃制とはどんなものか興味があったからです。

私は社会人になってから運動不足になったせいか基本稽古が終わるとバテてしまい、目が回ってしまう状態になっていました。会社勤めもしながら空手を続けるのは大変でした。筋肉痛やケガ、病気にも悩まされ、なかなか稽古を継続する事が出来ませんでした。

昇段審査を受審すると決めた時、普段の稽古の日数も増やし、強化稽古の参加及び空いた時間で補強や走り込みの自主トレも行いました。途中、自分のふがいなさに辞めたいと思った事もありました。

しかし、それでも諦めずに稽古を続け、昇段審査を受審しました。

十人組手は絶対に倒れまいと無我夢中で必死でした。

空手を通じて、体力面だけでなく精神面も鍛えられたと思います。また、たくさんの素晴らしい仲間とも出会えました。

私にとって極真の黒帯を取得出来た事は誇りに思える事です。これからも稽古を続けてさらに精進したいと思います。

押忍。

昇段レポート 長嶺寿宣(2020年8月2日取得)

初段(熊本県支部)2020年8月2日取得

 この度、昇段審査の機会を与えてくださった竹代表、谷口誠師範、馬原浩師範代、ならびに分支部長の方々に心より御礼申し上げます。特に、今日に至るまで7年間にわたり、光の森道場で私を直接ご指導いただいた佐藤博也先生には、感謝の言葉も見つからないほどのご厚情を賜りました。仕事や家庭のために稽古に参加できない時期がございました。試合で結果が出せず限界を感じて、稽古に臨む意欲が低下した時期もございました。幾度となくご心労をおかけし、失望させたこともあったことと拝察します。忍耐強く導いてくださり、誠にありがとうございました。

 思い返せば、1990年、まだ大山倍達総裁がご存命の時に、私は宮崎県で極真空手を始めました。内山武盛師範が指導されていた本部道場での、入会後初めてのスパーリングを鮮明に覚えています。年下の中学生(茶帯)を相手にした時、私は上段廻し蹴りを顎にもらい開始早々床に崩れ落ちました。黒帯の先輩からは後ろ廻し蹴りで気絶寸前に追い込まれました。私は小学4年次から中学校卒業まで伝統派空手や少林寺拳法を学び、伝統派空手では黒帯を取得済みでした。ところがまったく歯が立たず、直接打撃制の凄まじさに衝撃を受けました。その後、稽古に励み、大会の組手試合で成果を出せるようになりましたが、1997年、大学卒業とともにアメリカへの留学を控えていた私は、武道空手がなんたるかを知らぬまま、茶帯一級で退会しました。

 2003年に帰国して働き始め30代半ばを過ぎると、過労から体調を崩すことが多くなりました。ストレス発散も兼ねて挑戦できることは何かと考え、長年懇意にさせていただいている内山武盛師範にご相談して、2013年に再入会を決意。光の森道場での稽古を始めさせていただきました。頭にあったのは、「昔やっていたからなんとかなるだろう」という考えでした。再入会後すぐに実感したことは、私の考えの甘さです。過去の経験に執着し楽観的だった私は、まったく道場の稽古についていけず、後悔の念と闘うことになります。基本稽古中に突然襲ってくる吐き気やめまい。そして、稽古から離脱。これが3、4回続いたでしょうか。基本稽古についていけるようになった後も、ミット練習やスパーリングで不調を感じ、離脱。叱責されて当然だと思っていた私は、佐藤博也先生の寛大な態度に恐縮し、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 最初の一か月間は、耐え難いほどの全身筋肉痛で、のたうち回りました。稽古後は毎回、車の運転を躊躇するほどの疲労です。体力・筋力や柔軟性は当然ながら、瞬発力や動体視力、基本的な技術等のすべてが、目を覆いたくなるようなありさまでした。いや、身体的な問題はさておき、「昔やっていたからなんとかなるだろう」というそもそもの甘い考え、自己分析の欠如を猛烈に恥じました。不安感にさいなまれながらトレーニングに取り組むも、再入会後1、2年ほどでは成長を感じることができません。それもそのはず頻繁に怪我をしてしまうのです。当時高校生だった園田太陽君の昇段審査会では、光栄にも10人組手の相手として参加させていただきました。完遂された園田太陽君の姿に感動し、涙が溢れました。余韻に浸りつつ車で帰宅途中、胸部に違和感が。原因は、組手中に受けた突きによる肋骨のヒビでした。その後1ヶ月ほど、くしゃみをする度に恐怖でした。組手試合にエントリーした大会直前にも怪我をしてしまいました。道場での高校生を相手にしたスパーリングで、胴廻し回転蹴りを出して肘でブロックされ、その肘が当たった右脚朏骨を骨折。あろうことかスパーリングの相手に、技を出した私が気遣われる始末です。「全然大丈夫です」と平静を装って道場を出たものの、激痛に顔をゆがめ脚を引きずり帰宅。翌日からはギプスを付け松葉杖歩行、妻の運転で出勤と、不甲斐なさに言葉を失いました。「茶帯一級で、一体自分は何をやっているんだろう。」自問自答の連続でした。

 40代に突入すると、怪我はなかなか治りません。「このまま続けていけるのだろうか」、「直接打撃制の空手は自分に合わないのでは」と頭を抱える日々。その度に、佐藤博也先生から、稽古後の体のケアに関するご助言や激励のお言葉をいただきました。「宮脇先生の自主練に参加すると勉強になりますよ」と佐藤博也からお声かけいただいて同行させていただいたこともありました。1000回スクワットに黙々と取り組まれる宮脇善郎先生と佐藤博也先生。私もやらせていただきましたが、初回は長時間かかった上に、産まれたばかりの小鹿状態に。根性で複数回参加させていただき、1000回スクワットにかかる時間を短縮することができました。しかし、参加後は最低1週間、猛烈な筋肉痛のために自宅でも職場でも行く先々で七転八倒したことは言うまでもありません。道場稽古以外での陰の努力と、怪我の頻度を減らすための基礎体力強化の重要性を、実践を通して教えていただきました。

 恵まれた人間関係がなければ、今日の私はありません。熊本県支部の各種イベントでは、谷口誠師範や馬原浩師範代、分支部長の先生方、さらには谷口誠師範の奥様にも、常に親切に接していただき、心温まるお言葉をいただきました。光の森道場壮年部の同志からは、稽古後の空手談義や呑み会を通してどれだけの活力をいただいたことか計り知れません。谷口誠師範の発案による「おやじの会」でも、素晴らしい指導者の方々や他道場壮年部の同志と絆を深めさせていただきました。すべてが私の心の支えです。

 再入会後7年目、極真空手の門を叩いてから30年目となりました。私事で甚だ恐縮ですが、審査会を開催していただいた8月2日は、28年前に15歳で他界した弟の誕生日でした。特別な日に開かれる昇段審査に向けて、私を奮い立たせてくれたのは、佐藤博也先生の存在です。「稽古以外でコツコツ努力する人は必ず成長します」、「最後は執念が一番強い人が勝ちます」、「空手を始めたお子さんのためにも模範になってください」。10人組手では、付け焼き刃的なテクニックや、その場しのぎの誤魔化しなど到底通用しないことを思い知らされました。コツコツと積み上げたものしか出すことできません。審判をお務めいただいた宮脇善郎先生には、一人終わるごとに声をかけていただき、終始激励していただきました。薄れそうな意識を戻しながら、執念で立ち続ける上で大きな力になりました。ボロボロにはなりましたが、有り難き学びの機会でした。審査後に見えてきた課題の量を考えると気が遠くなります。しかし、果敢に挑戦していきたいと思います。

 末筆ながら、今後は光の森道場および支部組織、ひいてはワールド極真会館への恩返しを含め、黒帯としての自身のあり方を謙虚に追及していく所存です。「茶帯までは基本的なことがしっかりできることが求められ、黒帯は応用できることが求められる」との谷口誠師範のご指導を胸に刻み、さらなる高みを目指して精進してまいります。押忍

昇段レポート 﨑山拓海(2020年7月5日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年7月5日取得

 僕が空手を始めたのは5歳の時でした。始めたきっかけは、空手を見に行った時にみんな一生懸命練習しているのを見て、「僕も空手をしてみよう」と思って空手を始めました。けれど、いざやってみると、とてもきつくて、打たれたり、蹴られたりすると痛かったけれど同時に「僕もこんな強くなってみたい」という気持ちが芽生えました。

 でもどんなに練習をしても上手くいかなくて、試合でも一回戦・二回戦ですぐに負けて、いつも泣いていました。でもお父さんとお母さんがいつも支えてくれて反省点や良いところを言ってくれたのですごい励みになりました。それから練習がない日でも練習をして、他の道場に出稽古に行ったりして人の数倍努力しました。

 そしたら、県大会などでも勝てるようになり優勝もできるようになっていきました。けれど全国大会などに出てみるとすぐに負けて全国にはまだまだ強い人がいるんだなと思って、より一層の努力をしないといけないなと感じました。

 それからは先輩達とも本気でするようになりました。でも怖くてなかなか自分の空手が出来ませんでした。そんな時にお父さんに「弱気は最大の敵」という言葉を言われました。その時に僕は誰とする時も強気で行こうと決めました。そこからは全国大会や国際大会などでも入賞や優勝出来るようになっていきました。

 そんな時に初段審査の話を聞きました。ずっと一緒に頑張ってきた先輩と受けることにしました。いろんな先輩達からアドバイスをもらいながら練習をしました。型や組手の練習に励みました。

 審査当日は、マスクをしての審査だったのできつかったけど基本や型を順調に進めることが出来ました。組手では4人目までは順調でしたが、そこからは体が全く動きませんでした。けれど、皆の応援を力に頑張ることが出来たので良かったです。先輩と一緒に黒帯を取れて本当に嬉しかったです。

 最後に10年間指導してくれた指導者や先輩方、支えてくれた人たちに感謝してこれからもより一層の努力をしていきます。本当にありがとうございました。押忍。

昇段レポート 羽子田陸(2020年7月5日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年7月5日取得

 この度は、昇段審査を受けさせて頂きありがとうございました。これまで支え、空手をさせてくれた両親には感謝しても感謝しきれません。また、数多くの先生方や先輩などにも感謝でいっぱいです。  

 僕が空手を始めたのは、今からちょうど10年前です。親や友人の勧めもあり、頑張ろうと思いました。最初はなかなか思うようにいかず、挫折しそうになったときもありましたが、仲間がいてくれたからこそここまで続けられていると思います。大会で勝てるようになってから、さらに空手が楽しくなり、また極真空手を通じて礼儀も学べたと思います。

 昇段審査を受ける前の練習は、これまでの練習と比べ、比にならないくらい追い込みました。その練習に付き合ってくれた仲間たちの役に立てるように、また己の鍛練も欠かさずにしたいです。空手を通じて人の役に立てるような人になりたいと思います。

 黒帯を取る前は、そこまで意識していなかったことをこの昇段を通じて、また見直すことができればいいと思います。まだまだ僕は未熟だし、人の役に立てるわけでもない、だからこそこれから変えていかないといけないと思います。これまでに自分がいろいろな方から教わったこと、それをまた後輩につないでいかないといけないと思います。自分を伸ばすためには尊敬する人が必要だと思います。人に尊敬される人間になれるように努力を惜しまないようにします。

 これから多くのつらいことや苦しいことがあると思います。それを耐える、「押忍」の精神にもある通り、日頃のつらいことを我慢する力が必要だと思います。10人組手などつらいことを乗り越えて本当によかったと思います。

 少しでも恩返しができるよう、またこれから努めていきます。今まで指導ならびにご支援していただいた皆様には本当に感謝します。ありがとうございました。押忍。

昇段レポート 徳留清花(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 この度は、昇段審査を受審させて頂き誠にありがとうございました。空手を始めて10年、ここまで支えて下さった先生方、先輩方、そして両親に心よりお礼申し上げます。

 私は、小学5年生のとき、父の勧めで空手を始めました。運動が苦手な私にとって、空手の稽古はときに苦しいものでした。しかし、練習を続けるうちに自分自身が成長していることを実感し、練習を頑張ることができました。

 昇段審査に向けて、私は普段の練習の他に合宿や強化稽古に参加しました。合宿では、型と組手の両方を指導していただきました。長時間に及ぶ稽古は、体力的にきついものでしたが、それだけ学ぶことが多かったです。そのなかで、自分自身に足りないものを改めて感じ、悔しい思いもたくさんしました。しかし、そのことをバネに練習に励みました。強化稽古では、体力づくりと組手を中心に取り組みました。はじめは、稽古が辛く、辞めたいと思うこともありました。しかし、昇段を諦めたくなかったので必死に練習しました。稽古を重ねるごとに、体力がついてきたことがわかり、それが自分自身の励みとなりました。型は、色々な先生から指導していただき、悪いところを修正しました。

 審査は、自分の力を出し切るという思いで臨みました。十人組手は本当に苦しかったです。しかし、諦めない心で最後まで取り組みました。

 空手を通して、体力だけではなく、精神的にも強くなったと思います。そして継続は力なりという言葉を実感しました。これからも練習を続け、さらに精進したいです。押忍

昇段レポート 中濱叶志郎(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 私が極真空手を始めたのは約十年前です。

 体を動かすことが好きで、頑張った分強くなれると練習に夢中になりましたが、怖く、痛く、試合に出ても勝てなくて、だんだんと辞めてしまいたいと心が逃げてばかりいました。しかし、続けていくうちに支え合える仲間ができました。厳しく、温かく、見守って下さる指導者、保護者がいて心身ともに成長することができました。

 初めて試合に負けた時は悔しくて泣きました。その時、稲付先生から「悔しくて涙がでるということはいいことです。強くなる証です。」と励まされたことを思い出します。

 空手では多くのことを学び、弱い自分を強くすることができ、強くなった分、人に優しくすることができました。今の自分でいられるのもこれまで指導して下さった指導員、先輩方のおかげでもあり、とても感謝しています。私もそうなれるよう頑張りたいと思います。

 高校卒業までには昇段審査を受けると決断し、必死に追い込みをかけました。十人組手に無我夢中でしたが、身につけた技は少しではあったけれど出せたと思います。練習不足はもちろん、自分にとって何が足りないのか、経験不足なのか今回の審査で改めて知ることができました。目の前の事から逃げずに、立ち向かっていこうと思います。十年間いつ何時も見守って受けとめてくれた有明道場の稲付先生には、良い結果を残せなかった事を後悔しています。

 初段になる事は、自分にとって大きな自信になります。これから社会人になります。たくさんの壁にぶちあたっても空手で学んだ心技体で立ち向かっていこうと思います。

 竹師範、諸先生方、有明道場の稲付先生、浦松先生、道場生に感謝の気持ちを忘れず、更なる精進に努めたいと思います。今回は本当にありがとうございました。押忍。

昇段レポート 中園花(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

感謝

 私は、四歳から空手を頑張ってきました。私が空手を始めたきっかけは、兄といとこが習っていたからです。

 私は、小学六年生の時にいとこの昇段審査を初めて見に行きました。とてもきつそうで私は絶対に受けたくないと思っていました。そして、私は中学三年生になり道場の先生から昇段審査を受ける許可をもらいました。しかし私は受験生ということもあり、あまり練習に行っていませんでした。だから私は母に何回も受けるのをやめると言っていました。でも母は私を励ましてくれていました。

 私が昇段審査に受かったのは、道場の友達、色々な相談にのってくれた家族、友達がいたからです。私は練習で泣いてしまったことがあります。そして私の道場の先生である帖佐先生は私に気持ちでは負けるなと言ってくれました。

 昇段審査当日、沢山の方が応援に来てくれてとても心強かったです。心配していた柔軟をクリアし、あと十人組手だけになりました。十人組手は思っていた以上にきつくて何度も心が折れそうになりました。でも、皆の声援があり頑張れました。

 私は昇段審査を終えて沢山の事を学びました。一つ目は、自分に負けないことです。私は、いつも自分にとって嫌なことを避けていました。でも昇段審査を終えて諦めない気持ちを学びました。二つ目は、感謝を忘れないことです。応援に来てくれた方がいなかったら頑張れなかったと思います。

 私は、極真空手を習っていてよかったと思います。空手を通して沢山の事を学べました。私の道場の先生は、とても優しく、私に空手以外のことも教えてくれました。友達を大切にすること、自分から挨拶すること、何事にも気持ちで負けないこと、これ以外にも学んだことは沢山あります。

 私は四月から寮生活です。当たり前のことは当たり前にできるように頑張ります。

昇段レポート 篠原一航(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

空手について

 僕は、親に勧められて年長の頃に空手を習い始めた。近い年代の人が多く、僕も始めたてはとても怖かった。特に組手の稽古では、何回も逃げたりしていた。

 小学生になって、いろんな大会に出場するようになった。道場内の人たちがいろんな大会で入賞していて、強くなりたいと思った。同じ階級に強い人たちがいて、最初は勝つこともできなかった。しかし、毎日稽古を積み重ねることで大会でも勝ち進めるようになった。時には県外の大会にも出場して入賞も少しずつできるようになった。高学年になるにつれて出場する人数が減ってきたけど、背の高い選手が多くなってきて、戦い方も難しくなり、負けることが多かった。

 中学生になってからは、上の学年の選手とも戦うようになり、高い壁があるのを思い知らされた。何回も負けたけど、メンタルが成長しているのも感じた。

 高校生になってすぐ、国際大会に出場させてもらった。全国から集まってきた選手を目の前にして、自分はまだまだだなと思う所が多く、今後の空手の稽古につながる貴重な経験となった。高校生になって体格が出来上がりつつある年齢でもあり、一番成長できる時期であるので、成長していきたい。

 ここまで長く続けることができたのは、支えてくれた家族をはじめ、指導して下さった先生方、稽古の相手となってくれたみんなに感謝の心を忘れずに、また空手以外でも感謝して、恩返しをしていきたい。

 そして、今まで教わってきたことを、自分や困っている方の助けになるように、日々の生活でも周囲に目配り、気配りができるようになりたい。また、黒帯として、みんなのお手本となるように必要なことを考えながら頑張りたい。

昇段レポート 清水聖樹(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 この度、初段昇段への機会を与えて頂き誠にありがとうございます。

 今から12年前の4月、父から「心身ともに強くなってほしい」ということで小学1年生から極真空手を始めました。

 小学校時代は神奈川県の道場で稽古に励みました。低学年の時は先生や先輩方から礼節の指導をしていただきました。礼節の指導をしていただいたおかげで身体も丈夫になり、目上の方々への礼儀作法を身に付けました。先生から怒られたり、組手で泣いてしまったりして空手が嫌になってしまったこともありました。しかし、そんな弱い自分に負けずに、泣いたりはしましたが空手を続けることができました。

 小学6年生の頃に鹿児島の道場に来ました。鹿児島に来て驚いたことは型の試合があったことです。型の試合は慣れない事ばかりで大変でした。組手の試合も最初は結果を出すことができなかったが、次第に結果を出せるようになり高校3年生の2月、昇段審査を受ける機会を頂きました。

 昇段審査の最大の山場である十人組手では、サンドバックで1分×10~15セットを稽古で行い、自主練でランニングをし、スタミナの向上の練習をしました。そして本番、サンドバックの時よりも何倍もきつくて8、9人目で体力が落ちていきました。しかし同じ道場の子たち、先輩方、先生方、会場に来られた保護者の方々に応援をしていただきました。私は一人で十人組手をやっている訳ではないのです。みんなで十人組手に挑んだのです。私一人では絶対にできなかったと思います。そして十人組手を無事終えることができました。やり終えた後は体はきつかったが、心はとても清々しい気持ちでした。 

 審査が終わった後日、私は神奈川の時にお世話になった道場の先生に電話で報告をしました。道場の先生からは「聖樹が今まで続けてくれたことが先生は一番嬉しい。黒帯になってからがスタートだよ。」と、ありがたいお言葉を頂きました。

 春からは自衛官となります。また一社会人になります。社会人としての自覚を持ち、恥をかかず、極真空手で学んだことを将来に役立てるようにし、立派な自衛官になります。

昇段レポート 甲斐裕康(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 この度は昇段審査を受けさせていただきありがとうございました。

 私が入門したのは14歳の頃で、それから姶良道場でお世話になっておりました。竹師範や内弟子の先生方の御指導を受けられる恵まれた環境であったおかげで、大会入賞や全国大会出場ができた時期もありました。その後、20代半ば頃から怪我や仕事の都合で稽古が十分にできないことが多く、なんとか止めずに続けていくことが精一杯の状態であったため、昇段には縁がないものと思っておりました。

 しかし、竹師範よりそろそろ昇段審査を受けてみなさいと勧めていただき、周りの方々の応援にも背中を押され、今回一念発起して挑戦させていただくことになりました。

 昇段審査を受けるにあたって姶良道場の先輩方にも御協力していただいて準備をしていき、出来るだけのことはしてきたつもりでしたが、実際に十人組手を行ったときは、緊張や気後れで序盤にダメージを受けてしまい、徐々に満身創痍となっていきました。それでも、応援に来てくれていた方々の声援や激励のおかげでなんとか完遂することが出来ました。

 今回の審査を通して、やはりまだまだ未熟な部分も多く、精進していかなければならないと痛感しました。竹師範からも「黒帯はゴールではなく、スタートである」と教えていただきましたので、この言葉を忘れずに今後も黒帯を締めるのに相応しい人物になれるよう精進していこうと思います。

 最後に、今回の昇段審査にあたり、御指導して下さった先生、先輩方、協力・応援してくれた道場生の皆様方に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。押忍。