昇段レポート 中濱叶志郎(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 私が極真空手を始めたのは約十年前です。

 体を動かすことが好きで、頑張った分強くなれると練習に夢中になりましたが、怖く、痛く、試合に出ても勝てなくて、だんだんと辞めてしまいたいと心が逃げてばかりいました。しかし、続けていくうちに支え合える仲間ができました。厳しく、温かく、見守って下さる指導者、保護者がいて心身ともに成長することができました。

 初めて試合に負けた時は悔しくて泣きました。その時、稲付先生から「悔しくて涙がでるということはいいことです。強くなる証です。」と励まされたことを思い出します。

 空手では多くのことを学び、弱い自分を強くすることができ、強くなった分、人に優しくすることができました。今の自分でいられるのもこれまで指導して下さった指導員、先輩方のおかげでもあり、とても感謝しています。私もそうなれるよう頑張りたいと思います。

 高校卒業までには昇段審査を受けると決断し、必死に追い込みをかけました。十人組手に無我夢中でしたが、身につけた技は少しではあったけれど出せたと思います。練習不足はもちろん、自分にとって何が足りないのか、経験不足なのか今回の審査で改めて知ることができました。目の前の事から逃げずに、立ち向かっていこうと思います。十年間いつ何時も見守って受けとめてくれた有明道場の稲付先生には、良い結果を残せなかった事を後悔しています。

 初段になる事は、自分にとって大きな自信になります。これから社会人になります。たくさんの壁にぶちあたっても空手で学んだ心技体で立ち向かっていこうと思います。

 竹師範、諸先生方、有明道場の稲付先生、浦松先生、道場生に感謝の気持ちを忘れず、更なる精進に努めたいと思います。今回は本当にありがとうございました。押忍。

昇段レポート 中園花(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

感謝

 私は、四歳から空手を頑張ってきました。私が空手を始めたきっかけは、兄といとこが習っていたからです。

 私は、小学六年生の時にいとこの昇段審査を初めて見に行きました。とてもきつそうで私は絶対に受けたくないと思っていました。そして、私は中学三年生になり道場の先生から昇段審査を受ける許可をもらいました。しかし私は受験生ということもあり、あまり練習に行っていませんでした。だから私は母に何回も受けるのをやめると言っていました。でも母は私を励ましてくれていました。

 私が昇段審査に受かったのは、道場の友達、色々な相談にのってくれた家族、友達がいたからです。私は練習で泣いてしまったことがあります。そして私の道場の先生である帖佐先生は私に気持ちでは負けるなと言ってくれました。

 昇段審査当日、沢山の方が応援に来てくれてとても心強かったです。心配していた柔軟をクリアし、あと十人組手だけになりました。十人組手は思っていた以上にきつくて何度も心が折れそうになりました。でも、皆の声援があり頑張れました。

 私は昇段審査を終えて沢山の事を学びました。一つ目は、自分に負けないことです。私は、いつも自分にとって嫌なことを避けていました。でも昇段審査を終えて諦めない気持ちを学びました。二つ目は、感謝を忘れないことです。応援に来てくれた方がいなかったら頑張れなかったと思います。

 私は、極真空手を習っていてよかったと思います。空手を通して沢山の事を学べました。私の道場の先生は、とても優しく、私に空手以外のことも教えてくれました。友達を大切にすること、自分から挨拶すること、何事にも気持ちで負けないこと、これ以外にも学んだことは沢山あります。

 私は四月から寮生活です。当たり前のことは当たり前にできるように頑張ります。

昇段レポート 篠原一航(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

空手について

 僕は、親に勧められて年長の頃に空手を習い始めた。近い年代の人が多く、僕も始めたてはとても怖かった。特に組手の稽古では、何回も逃げたりしていた。

 小学生になって、いろんな大会に出場するようになった。道場内の人たちがいろんな大会で入賞していて、強くなりたいと思った。同じ階級に強い人たちがいて、最初は勝つこともできなかった。しかし、毎日稽古を積み重ねることで大会でも勝ち進めるようになった。時には県外の大会にも出場して入賞も少しずつできるようになった。高学年になるにつれて出場する人数が減ってきたけど、背の高い選手が多くなってきて、戦い方も難しくなり、負けることが多かった。

 中学生になってからは、上の学年の選手とも戦うようになり、高い壁があるのを思い知らされた。何回も負けたけど、メンタルが成長しているのも感じた。

 高校生になってすぐ、国際大会に出場させてもらった。全国から集まってきた選手を目の前にして、自分はまだまだだなと思う所が多く、今後の空手の稽古につながる貴重な経験となった。高校生になって体格が出来上がりつつある年齢でもあり、一番成長できる時期であるので、成長していきたい。

 ここまで長く続けることができたのは、支えてくれた家族をはじめ、指導して下さった先生方、稽古の相手となってくれたみんなに感謝の心を忘れずに、また空手以外でも感謝して、恩返しをしていきたい。

 そして、今まで教わってきたことを、自分や困っている方の助けになるように、日々の生活でも周囲に目配り、気配りができるようになりたい。また、黒帯として、みんなのお手本となるように必要なことを考えながら頑張りたい。

昇段レポート 西ノ原藍斗(2020年2月16日取得)

Jr初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

今までの自分の空手人生

 僕には六歳上の兄がいます。その兄が小学1年生の時に極真空手を始めたので、僕は赤ちゃんの頃から兄の稽古を見に道場へ行っていました。兄が稽古をしているのをずっと見ていて、小さな頃から兄の真似をしたり、僕の父が川内道場で先生をしていたこともあって、僕が極真空手を始めるのは当たり前のことのように思っていました。 

 僕が稽古に通うようになったのは3歳の頃で、当時はフルコンタクトの空手は痛いし、幼稚園の後に稽古に行くのは眠いし、正直に言うとその頃は稽古に行くのが嫌いでした。泣いて稽古に行かないと言う僕を兄や父が抱えて連れて行くこともありました。

 そんな僕が強くなりたいと思うようになったのは、年中の頃に入門してきた同級生のライバルの存在です。僕の方が一年早く空手を始めていたので、最初は僕の方が強かったのに、どんどん強くなるライバルに年長の頃の鹿児島県大会の決勝戦で負け、ドラゴンカップも他の県での試合でも結果を出せないで終わりました。

 僕を近くでずっと見ていた指導者でもある父が、僕に足りないのは稽古と経験、僕なら出来ると信じ、たくさん稽古をするようになりました。毎日のように稽古を頑張り、その稽古にライバルも付き合ってくれるようになりました。どんなきつい稽古もライバルがいたから頑張れました。今では、ライバルは一番の親友になりました。

 そして、きつい稽古を頑張ってきた結果、鹿児島県大会とドラゴンカップは六連覇を達成し、全国大会や国際大会にも出場することができ、小学3年生の頃に全国大会で組手で優勝と型で三位になり、大きな試合で何度か入賞することもできました。

 このような結果を出せたのも、父や内田先生、悠太郎先生が教えてくれたからだと思います。内田先生は泣いて嫌がる僕に優しくしてくれたのでやめずにすみました。悠太郎先生は選手稽古の時に強い相手と組手をたくさんさせてくれました。嫌だったけど、それで強くなりました。中学生になるので、大きい相手にも気持ちで負けず攻めていきたいです。

 これからも感謝の心を忘れずに一生懸命頑張りたいと思います。押忍。

昇段レポート 清水聖樹(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 この度、初段昇段への機会を与えて頂き誠にありがとうございます。

 今から12年前の4月、父から「心身ともに強くなってほしい」ということで小学1年生から極真空手を始めました。

 小学校時代は神奈川県の道場で稽古に励みました。低学年の時は先生や先輩方から礼節の指導をしていただきました。礼節の指導をしていただいたおかげで身体も丈夫になり、目上の方々への礼儀作法を身に付けました。先生から怒られたり、組手で泣いてしまったりして空手が嫌になってしまったこともありました。しかし、そんな弱い自分に負けずに、泣いたりはしましたが空手を続けることができました。

 小学6年生の頃に鹿児島の道場に来ました。鹿児島に来て驚いたことは型の試合があったことです。型の試合は慣れない事ばかりで大変でした。組手の試合も最初は結果を出すことができなかったが、次第に結果を出せるようになり高校3年生の2月、昇段審査を受ける機会を頂きました。

 昇段審査の最大の山場である十人組手では、サンドバックで1分×10~15セットを稽古で行い、自主練でランニングをし、スタミナの向上の練習をしました。そして本番、サンドバックの時よりも何倍もきつくて8、9人目で体力が落ちていきました。しかし同じ道場の子たち、先輩方、先生方、会場に来られた保護者の方々に応援をしていただきました。私は一人で十人組手をやっている訳ではないのです。みんなで十人組手に挑んだのです。私一人では絶対にできなかったと思います。そして十人組手を無事終えることができました。やり終えた後は体はきつかったが、心はとても清々しい気持ちでした。 

 審査が終わった後日、私は神奈川の時にお世話になった道場の先生に電話で報告をしました。道場の先生からは「聖樹が今まで続けてくれたことが先生は一番嬉しい。黒帯になってからがスタートだよ。」と、ありがたいお言葉を頂きました。

 春からは自衛官となります。また一社会人になります。社会人としての自覚を持ち、恥をかかず、極真空手で学んだことを将来に役立てるようにし、立派な自衛官になります。

昇段レポート 甲斐裕康(2020年2月16日取得)

初段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 この度は昇段審査を受けさせていただきありがとうございました。

 私が入門したのは14歳の頃で、それから姶良道場でお世話になっておりました。竹師範や内弟子の先生方の御指導を受けられる恵まれた環境であったおかげで、大会入賞や全国大会出場ができた時期もありました。その後、20代半ば頃から怪我や仕事の都合で稽古が十分にできないことが多く、なんとか止めずに続けていくことが精一杯の状態であったため、昇段には縁がないものと思っておりました。

 しかし、竹師範よりそろそろ昇段審査を受けてみなさいと勧めていただき、周りの方々の応援にも背中を押され、今回一念発起して挑戦させていただくことになりました。

 昇段審査を受けるにあたって姶良道場の先輩方にも御協力していただいて準備をしていき、出来るだけのことはしてきたつもりでしたが、実際に十人組手を行ったときは、緊張や気後れで序盤にダメージを受けてしまい、徐々に満身創痍となっていきました。それでも、応援に来てくれていた方々の声援や激励のおかげでなんとか完遂することが出来ました。

 今回の審査を通して、やはりまだまだ未熟な部分も多く、精進していかなければならないと痛感しました。竹師範からも「黒帯はゴールではなく、スタートである」と教えていただきましたので、この言葉を忘れずに今後も黒帯を締めるのに相応しい人物になれるよう精進していこうと思います。

 最後に、今回の昇段審査にあたり、御指導して下さった先生、先輩方、協力・応援してくれた道場生の皆様方に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。押忍。

昇段レポート 岩嵜俊二(2020年2月16日取得)

弐段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 この度、昇段の機会を頂き、誠にありがとうございます。審査にあたり、指導いただいた先生、先輩方、協力してくれた道場の仲間の皆様方、感謝いたします。

 私が極真を始めたのは社会人になって間もなくの頃、学生時代に極真同好会を一緒にやっていた先輩と偶然出会い、鹿児島県支部国分道場が近くにできたので一緒にやらないかと誘われて入門しました。国分道場で約4年弱の稽古をし、一級まで取得したところで転勤となり、黒帯までの目標も果たせず途中で退会してしまったことが、ずっと心に引っ掛かっておりました。年月が過ぎ、やはり極真への思いは捨てきれず、自宅近くに極真紫原道場がオープンしたのをきっかけに49歳の時、子供と一緒に再入門いたしました。

 子供と一緒に始めたが、当初は道場稽古にまったくついて行けず、体力の衰えを痛感させられました。しかし週3回の稽古を続けることで徐々に移動稽古やスパーリング等にも慣れてきて、気力・体力的にも自信が持てる様になり、集中力が増して仕事でも疲れない様になり、高めだった血圧も下がり腰痛もなくなりました。

 今後の目標は、更なる高みを目指し「極真の黒帯」として恥じぬよう精進し、極真空手の発展のために頑張っていきたいと思います。押忍

昇段レポート 角井修(2020年2月16日取得)

弐段(鹿児島県支部)2020年2月16日取得

 初めに、この度昇段審査を受けさせて頂き、誠にありがとうございました。

 今回の昇段審査は、私にとって非常に大きな決断でありました。2018年9月にワールド極真会館へ移行され、宮之城道場の指導員として稽古に励んでおりましたが、令和元年5月より、道場責任者という重責の命を受け、これからのワールド極真会館や宮之城道場の発展や強化、更には自分自身の空手家としての心技体の向上を目指す覚悟と、前任の前囿先生が築かれてきた伝統を引き継ぐ決意を込めて、今回の昇段審査を受審させて頂きました。

 昇段審査の準備に関しましては、家族や道場の先輩方や後輩達の協力を頂きながら、自分1人では心が折れそうな時や、きつくて投げ出したくなる時もありましたが、多くの方々の支えを賜り、厳しくも楽しみながら準備が出来た事に心から感謝しております。

 昇段審査を受審した内容ですが、基本・型・柔軟・補強等については、日頃の稽古の積み重ねであり、落ち着いて今自分で体現出来る精一杯の動きを目標に実施しました。また、連続組手については、捌きを重点に置いて、受け返しを心掛けて挑みましたが、自分のイメージ通りには対応出来ず、今後も日々の稽古を怠らず鍛錬していき、更なる極みに向かって行きたいと改めて強く感じました。

 私は、以前初段を受審させて頂いた時もお伝えしましたが、我家にとって空手とは、家族が一丸となって取り組んでいる共通の活動であり、それがコミュニケーションツールとなっております。家族の絆がより深い物になっていると強く実感しており、空手を通じて家族以外においても、様々な世代や環境を問わず、切磋琢磨しながらお互いを尊重できるものと認識しております。

 最後になりますが、今回このような貴重な経験をさせていただいた事に感謝申し上げ、今一度、自分自身を見つめ直し、今後の空手人生がより良いものとなり、併せて、ワールド極真会館の今後の更なる発展と、宮之城道場のより一層の活躍がご報告出来るよう、微力ではありますが貢献出来るよう日々精進して参ります。そして、「頭は低く目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益する」の精神を忘れずに、これからの空手道を全うしていく所存でございます。押忍

昇段レポート 小野里富夫(2020年2月2日取得)

初段(熊本県支部)2020年2月2日取得

 16歳で松濤館空手を始め、黒帯を取得はしたものの、どこか満たされない達成感。そのころから、やはり空手はフルコンタクトの極真空手こそ立ち技最強と考えていた日々。その後、ご縁に導かれ学生時代に出会った極真の先生が指導してくださる個人道場に通いながら日々修行を続けるものの、就職し仕事に明け暮れる内に空手道から遠ざかること18年、結婚し、子供を4人授かり、様々な経験をしてきた上で、常に消えることがなかったことは極真空手への想いでした。

 そんな折、転機は今から7年前、仕事で熊本への転勤を機に、いつかは自分の子供達にも極真空手を習わせたいとの想いから、白帯からの再スタートを決意し親子で入門。18年振り、38歳になった身体は悲鳴をあげる日々でしたが、光の森道場の佐藤先生による温かいご指導と、先輩・後輩の方々などにも恵まれた環境のお陰で、なんとか憧れだった極真空手の黒帯認定を頂くことが出来ました。

 しかしながら、審査会での最後の10人組手は自身の不甲斐なさが浮き彫りに、悔しさと同時に、まだまだ足りないところだらけであることを気付かされた大変貴重な経験でした。

 現在45歳、ここからがスタートであり、改めてこれまで以上の努力が必要であると認識し、決意を新たに取り組んでいく所存です。本審査にあたり、熊本県支部支部長谷口誠師範からは″黒帯には、「どんな色にも染まらず不屈の精神と技術を持っている」と言う意味がある″との有難いお言葉を頂きました。この意味を心に刻み、″生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うしたい″と思います。

 末筆となり大変恐縮ですが、昇段審査受審の機会を与えてくださいました竹代表、谷口師範、馬原師範代、そして佐藤先生および諸先生方、に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。押忍。

昇段レポート 村田俊(2019年11月10日取得)

初段(長崎県支部)2019年11月10日取得

 私は昔、空手をしている自分が嫌いでした。小学校二年生の時に空手を始めた私は、まだ長崎に少年部ができたばかりでしたので少年部第一号として入門させていただきました。空手をしていく中で様々な方と出会い少しずつではありますが成長できたかなと思います。

 しかし稽古のない日はお父さんとの練習で毎日がつらく泣いている日々がよくありました。練習した分結果は確かについてきます。しかし中学生になった私は部活動を始め体力的にも精神的にも限界が来たため、空手をやめる決断をしました。自分の意志で辞めた空手、そして約一年半前に今度は自分の意志で再び始めた空手。

 空手人生で出会った師範を始め一緒に稽古をしてきた仲間そして支えてくれた家族には本当に感謝しています。今では空手が大好きだからこそこの舞台に立っています。今この瞬間も大切に生きようと思います。空手人生に私が名前を付けるならそれはありがとうです。